真福寺 全山
■起 源
推古天皇二年(西暦594年)物部の守屋の次男真福が山の頂きより霊光かがやき端雲たなびくをみて不思議に思い訪れたところ、滾々と湧き出る泉を発見した。しばしたたずんでおられた真福は日頃信仰しておられた薬師如来が水中より顕れ出られ、(是好良薬今留在此)と誦して再び泉の中に姿を消された。
これを目の当たりにして非常に感激し末代まで伝えようとして本堂を建立したのが真福寺の始まりである。鎌倉時代には最も栄え、36坊の末寺を有した。現在は、身体健康と目のお薬師様として愛知県下はもとより全国より多くの信仰を集めています。
名 称 | 霊鷲山降劒院真福寺 |
建 立 | 聖徳太子建立 三河国最古寺院 |
本 願 施 主 | 物部の大将守屋の次男 真福 |
祈 祷 |
病気平癒・身体健康・交通安全・厄除・先祖供養・その他現世利益 葬儀 宗派を問わず葬儀をお承けします。 |
仁王門
応永17年(1410)に焼失後、明応3年(1494)に再興されたものである。
仁王像は永正12年(1515)に建立され、3mを超える巨像である。
鐘楼(招福の鐘)
百八の煩悩を払い、百八の福徳を授ける梵鐘。お参りされる方々についていただけます。
多宝塔
塔中に釈迦、多宝如来の二仏が同座する。
東方宝浄世界の教主、室町初期建立。
大師堂
本尊、慈恵大師は文永11年(1274)鎌倉中期の春快作であり、建物もこの年に建立されたものである。(国・重要文化財)
金蔵院
金蔵院は真福寺の塔頭のひとつです。
もとは六ヶ寺の下寺があり真福寺を中心として 一山をなしていましたが、廃仏毀釈の時に 真福寺、金蔵院を残し、後は潰されてしまいました。 現在では真福寺営繕事務所となっております。
毘沙門天開山堂
開山、真福(まさち)長者は、毘沙門天の化身であることから、堂内に本尊として、お祀りしてある。本尊は室町初期のものである。(文化財指定)
真福寺 本堂内
御本尊御前立薬師如来像
本堂の中心に八角の御堂があり、その中の井戸の水が本尊である。水の体の薬師、水体薬師といい、この水が目と身体に大変良いということから1400年以来、御水の信仰がつづいている。
白鳳時代仏頭(県下最古)
開山、真福(まさち)長者は、毘沙門天の化身である。他2体の仏頭(平安・鎌倉)と共に菩提樹館に安置(文化財指定)
密教祈祷
薬師如来本願功徳経にある、十二大願というお薬師様が説かれた誓いがあります。
この内容はまだお薬師様が如来となる前に
「現世において衆生の願いを叶え漏れなく救い、この方便によって菩提(悩みのない境地)に導く、
またこの誓いが守れなければ如来にならない。」
と言うものです。
現在、如来である、お薬師様は必ずこの誓いを守り、我々をお救いくださいます。この誓約に基いた薬師護摩供による、現世利益祈祷を執り行っています。薬師如来の霊経を授けていただき、姓名判断等、その他のお悩み相談に応じます。